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ICUは募金から始まった
1.新しい大学創設への道
1945年の夏、太平洋戦争が終わりました。日本中が瓦礫と化したその年の秋、信仰に根差し、平和な国づくりに寄与する高等教育機関を創ろうと意欲に燃えた人々が活動を開始しました。一方、アメリカでも、原爆投下による犠牲への償いとして、日本再建のために貢献したいと願う人たちがいました。

資料1.御殿場会議参加者の集合写真
こうした思いが日米相互に高まり、1949年に新しい大学の創設を目指す人々が富士山の裾野にある御殿場に集まり、話し合いがもたれました(資料1)。
数年前まで戦火を交えていた日本人とアメリカ人が一堂に会し、新しい日本や世界のリーダーとなる人材、人類社会の平和的発展に奉仕する人材を育てる大学を創ろうと力を集結したのです。この会議では、大学運営の基本文書である寄付行為や学長、副学長、理事会、評議員会の構成などが決まり、「国際基督教大学」設立の出発点になりました。
2.一万田日銀総裁が後援会長を快諾
新しい大学を作るうえで、最大の課題となったのは、建設・運営資金が確保できるかという点でした。アメリカではすでに募金活動がを始まっており、日本の建設準備委員会のメンバーも大学の敷地を購入する資金は日本サイドで用意したいと考えました。しかし、当時の日本は食べ物も満足に住むところも不足しており、並大抵の努力では到底実現できない厳しい状況でした。東京都三鷹市に予定された大学建設地は、約40万坪、募金目標額は1憶5千万円。(最終的に集まった募金は1億6千万円で、現在の価値に直すと(公務員初任給を基準とする場合)39倍の約60億円。同じ大きさの土地を現在購入しようとした場合には、さらにその数十倍の価値にもなる途方もないものでした。)

資料2 第18代日本銀行総裁
一万田尚登氏
建設準備委員長であった山本忠興先生は、資金の集め方について、多くの人に相談しました。中には、海外から使い古しのストッキングを輸入し、補修して販売すれば、資金あつめになるといった、まるで、ドン・キホーテ的な発想もあり、他愛もない夢だと指摘する人もいました。
相談相手の一人に財界の重鎮であり、熱心なキリスト者であった森村市左衛門氏がいました。山本先生と森村氏は慎重に話し合い、当時日本の経済界にもっとも影響力があった日本銀行総裁の一万田尚登氏(資料2)に協力を頼んでみようということになりました。
二人は、日銀本館2階の総裁室を訪ね、国際基督教大学設立への熱い思いを語り、後援会長になって、1億5千万円を集める募金委員会を率いてほしいと懇願しました。
一万田総裁は、我が国を支える精神的支柱になるものとして、キリスト教的教養がの必要だと考えていました。これからの日本は国際社会から信頼される貿易立国を目指さなければならない。また、自由と平和に徹し、国際的に愛される国民になっていく必要があるが、そのためには、キリスト教的教養を学ぶ場所としての高等教育機関が必要だと考えたのです。キリスト者ではなかった一万田総裁ですが、教育における信仰の必要性を強く感じており、新しい大学が国際平和に貢献できる人材を育てる場になると確信し、後援会長を引き受けました。
3.募金活動への取り組み

資料3.後援会名簿役員名簿(抜粋)
早速、日本国内での募金活動が始まりました。まず、東京都港区の日本赤十字本部に事務所を構え、事務職員を確保するところからスタートしました。また、募金活動を支援してくれる組織として、「国際基督教大学建設後援会」を立ち上げました。
会長には一万田尚登氏(日本銀行総裁)、副会長には、石川一郎氏(日本経済団体連合会長)、鵜沢総明氏(日本基督教信徒会長)、中橋武一氏(関西経済団体連合会長)、山本忠興(建設委員会中央委員会長)の4名が就任しました。また、相談役として、首相、前首相、衆参両院の議長を迎え、後援会の役員には、政治家、業界団体のトップ、中央官庁の官僚、大学学長など、約300名が連なり、日本国中を巻き込む壮大な組織が立ち上がりました。(資料3)

資料4.ポスター
後援会組織は日本全国に支部を立ち上げ、知事、商工会議所会頭、銀行頭取が支部長となり、全国規模の募金体制が出来上がり、国際基督教大学の創立支援は「国民運動」として広がっていったのです。
テレビやインターネットのない時代の募金広報活動は、主に紙媒体で行われました。小田部三平氏がデザインし、その時に使われたポスターが今でも残っています(資料4)。このポスターが1万枚印刷され、全国のに支部へと送付されました。「国際基督教大学」という大学名と「この大学を新日本建設のためにささぐ」というキャッチコピー、そして募金目標額。誰もみたことも、聞いたこともない大学名は新鮮で相当インパクトがあり、日本の将来を託すに値するとの印象を直感させるものでした。

資料5.国際基督教大学建設後援会趣意書(抜粋)
募金の目的は、「健全な信仰に立つ、人格学術共に優秀なる青年を世に送り出す」ためと、趣意書に書いてあります。(資料5)
ここで重視された点は、単に学問の力だけでなく、優れた人格を兼ね備えた人材を育てるということにありました。これには、学力偏重の戦前の高等教育が戦争への道につながったという深い反省の気持ちが込められています。

資料6.経済人の集まりでスピーチをする一万田総裁
一万田総裁は、有力実業家を集めて、平和な世界を築きあげるために、国際基督教大学がいかに必要かを訴えるなど、募金活動に自ら積極的に取り組みました。(資料6)
さらに、募金活動の一環として、オールスター東西対抗野球大会を開催したという記録も残っています。ただ、募金はあまり集まらなかったようです。
4.募金にまつわるエピソード
募金に関しては、いろいろな逸話が残っています。
子供たちが小遣いで飴玉を買うのを我慢して、10円、20円を寄付してくれました。また、大学生数名が、アルバイトで得たお金を新しい大学のためにと100円ずつ寄付してくれました。ほかにも、公立学校の高校生ひとりに付き10円寄付したという記録もあります。
天皇家からも御下賜金を受領したという資料が残っています。当時、同志社大学総長であった湯浅八郎先生は、自分に割り当てられた寄付金を工面するために、昆虫学に関する研究蔵書をすべて売却したことを自著に記しています。
政財界の指導者だけでなく、貧富の差にかかわらず、個性が尊重される民主的な教育が受けられることを願い、多くの方が浄財を国際基督教大学のために寄付してくれたのです。こうした国内での寄付者のほとんどが非キリスト者であったことも特筆すべき点です。
大学図書館には、26,000名分の寄付者名簿カードが残されており、その一部は閲覧することが可能です。それぞれの寄付者の思いがカード一枚一枚に刻み込まれており、今も静かに語りかけてくれます(資料7)。

資料7-1寄付者名簿カードボックス

資料7―2寄付者名簿カード(一部)
なぜ、これだけ多くの日本人が、国際基督教大学の創設に力を貸してくれたのでしょうか。それは、当時の人々が、自分たちが経験した辛い戦争の体験を自分たちの子や孫にはさせたくないという強い願いを国際基督教大学の創設に託したからです。この大学で学んだ学生が世の中のリーダーとなって、世界平和の構築に貢献してほしいと心の底からそう願っていたのです。
5.三鷹にキャンパス用地を取得

資料8:緑地部分が当初のキャンパス敷地(赤枠が現在)
募金活動は、大成功を収め、目標額を上回る資金が集まりました。その結果、現在の三鷹キャンパスを取得することができたのです。(資料8)
ただ、この話には、まだ、続きがあります。
実は、国際基督教大学は、献学以来、財政収支で黒字になったことがありません。創立当初、寄付が大学財政の赤字を補っていましたが、次第に寄付が減少し、大幅な赤字を基金の取り崩しで補填せざるを得ない状況が続きました。そこで、1970年代に創設期の募金で購入したキャンパスの敷地の一部(現在、都立野川公園になっている部分)を東京都に売却。その代金を金融資産で運用して、その収益で財務基盤を支えると仕組みを構築しました。現在でも、こうした財政構造は変わりません。少人数教育などICUならではの特色ある教育は、創立時に集められた寄付によって今も支えられています。そして、この「寄付文化」は同窓生に語り継がれ、よき伝統として次の世代を育てる新たな寄付へと広がっていくことが期待されています。
参考文献
「国際基督教大学創立史―明日の大学へのヴィジョン(1945‐63年)―」C.W.アイグルハート 国際基督教大学 1990年6月
「一万田尚登[伝記・追悼録]」 一万田尚登伝記・追悼録刊行会 徳間書店 昭和61年1月
「未来をきり拓く大学―国際基督教大学50年の理念と軌跡―」 武田清子 国際基督教大学出版局 2000年6月
「昭和二五年七月 国際基督教大学建設後援会記録」 国際基督教大学広報室ICU50年史編纂室 1995年3月